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「生駒純司のオーストラリア旅日記完全版」


ほんまに試合組んでくれるんかなぁ」
次々とカードが決まって行く4月11日大阪大会に対して不安をつのらせる、我が師ゴンズイ。 試合を求めて105kgもあったヘビー級戦士がライトヘビー、挙句の果てにミドル級まで落として頑張る姿に、私達はいつも自分達がいかに恵まれているかを実感させられている。「北川さん減量キツイからはよ決めてあげてほしいなぁ」。そう話していた頃、一通のメールが届いた。
 
「今日、2月12日オーストラリア大会の話がきたので、期間は短いけどチャンスやと思って受けました!まだ本決まりではないが俺の方は受けました!絶体頑張って大阪につなげるつもりです」。 「ええ〜っ!!あと2週間ちょっとしかないのにぃ?!」

2月9日、午後3時。天王寺からJRで関西国際空港へ。初海外で少し緊張気味のゴンズイ選手と海外旅行大好きの館長と私。明らかに減量で疲れ切った表情のゴンズイ選手と、ワクワクしている所を悟られないようにキビシイ表情を作っている館長と私。この二日間ほとんど何も食べていないと言うゴンズイ選手とよそに、オーストラリアについたら何を食べようかと思案してる館長と私……。

「お客様方は大変運がいいです」。香港〜シドニー間のエコノミー席が満席でビジネスクラスに乗せてくれるそうである。 今回の行程で最も長い距離をビジネスで行けるのであれば疲労度が全然違うので、これは本当に有り難かった。 午後6時10分。まずは香港へ向かう。しばらくすると機内食が配られてきた。二人掛けの窓側にゴンズイ選手、隣に私、通路を挟んだ横が館長の席だ。

絶食中のゴンズイ選手の横でバクバク食べるのも気が引けるので出発前に家で気分が悪くなるくらい腹に詰め込んで来た私は、本当に機内食の匂いで噎せ返りそうになった。「遠慮せんと喰うてくださいよ」。機内食を断った私に気を使ってゴンズイ選手が声を掛けてくれる。「大丈夫ですよ」と恩着せがましい返事をし、「ありがとう」とお礼の言葉までもらったが、本当に胸焼けしていたんです。すみません、北川さん。
 
100万ドルの夜景を眺めながら無事、香港に着き次のフライトまでの待ち時間、空港内を散策する。「これは、いい画だ」。持参のデジカメで空港内を撮りまくる館長。さながら「プチシルマ」のCMで美声を披露している“あの人”のようだ。私は横で甲高い声で笑っておく役を買って出るべきか迷った。「空港はええなぁ。なんか落ち着くなぁ。癒しの空間やなぁ」とゴンズイ選手、すっかり空港が気に入ったようである。

「こんなとこに住みたいなぁ」。「!」。 癒されない事だけは確かである。


現地時間午後、11時45分。いよいよオーストラリアに向かう時間となり、ビジネスクラスに乗り込む。

(うまそ〜やなぁ!!夜食の時、北川さん寝といてくれへんかなぁ)レストランのメニューのような機内食のメニューを見ながら心で願う。

「生駒さん、気にせんと喰うてくださいよ」。我が師匠、弟子の気持ちはすっかりお見通しのようだ。機内食を待つ間、リクライニングシートをまっ平らにして休息を取る。(こりゃ、何時間乗っとっても疲れへんなぁ。エコノミーとは大違いやで。)

少しまどろんでいたようで機内食を配る気配がし、目が覚めた。他の席を見るとフルーツとパンが配られている――。 もう朝食の時間だった。

幼い頃、「9時以降は大人の時間」と、布団に入らされていた私は大人になっても「大人の時間」に馴染めず、いまだに11時を過ぎ、横になったらすぐに眠ってしまう。夜食を食べそびれた私の心は「551がない時ぃ〜!」のなるみ一家のようであった。

だが、ここでめげずに気を取り直して朝食を取ろうと、隣を確認する。「チャ〜ンス!!」。 ゴンズイ選手、頭から毛布を被って眠っている。今のうちにとフルーツを口に入れた瞬間、隣から視線を感じた。「……食べます?」。つまみ食いをサザエさんに見つかった時のカツオのような心境の私は、減量中の選手に食べ物を勧めるという白木葉子のようなマネをしてしまった。「お嬢さん。気持ちだけ、有り難く受け取っておきます」 と、力石のようには言わなかったものの笑顔でそれを制するゴンズイ選手。気まずい……、私はやけ食いでその場を取り繕った。

ふと横を見ると館長が隣の外国人と英語で話をしている。 俳優のメル・ギブソンそっくりな男だ。 顔はメル・ギブソンだが年は26だそうでメルボルンに住んでいると言う。 会社を経営していて学生時代に京都に住んでいたらしく日本通である。すっかり館長と意気投合したようで 「時間が合えばメルボルンを案内しますよ」と名刺を渡すメル。 現地時間2月10日、午前11時50分。シドニー到着。案の定、税関で呼び止められる。「K−1?」と聞いてくる職員に対して「相撲、相撲。」と答えた館長。

なぜ、その職員が、私達が格闘家である事が分ったのか不思議だが、それ以上に理解不能なのが、館長の「相撲」という返答だった。

路面電車のたくさん走っているメルボルンのダウンタウンの中心に、私達の泊まるホテルはあった。この辺り、ダウンタウンの外周を回っている路面電車は無料で、それに乗ればある程度の名所は抑える事が出来るようになっている。(隙あらば回りたい)。旅行好きの血が騒ぎ出していた。

チェックインの手続きで、また戸惑っている時にTさんが降りてきた。私にはその時のTさんの顔が鞍馬天狗に見えた(例え、古いですか?)さんに会うなり「この街はこう見えて人口20万人しかいないらしいなあ」と館長。 「オーストラリア第2の都市ですよ!そんなはずはないでしょう!」とTさん。「来る時、一緒だったメルボルンの奴が言ってたぞ」。何かで調べたTさんが 330万人住んでるらしいですよ」と館長に告げると……。「あのボンボン、騙しやがったなぁ!!」。メルが館長を騙すメリットはまったくない。

直心会館長、小池孝則。人の話をあまり聞かない男である。そして、「ということはアレだな」という枕詞とともに、会話は全く関係のない話題へと飛ぶ。「この辺りに日本人学校があるらしいなぁ」と館長。「えっ?」と、T氏。「空港に私らを迎えに来てくれたセラさんが言ってたぞ」「それってメルボルン大学の事ですか?」「あぁ、あぁ、そんな名前だった」。「それは日本人留学生がたくさん来てるって、言ってはったんちゃいますか?」。「……」、直心会館長。人の話をほとんど聞いていない男である。

「とりあえず、体重を計りたいんですけど……」。ホテルに体重計はないと言われ少し焦り気味のゴンズイ選手。
「エクストリーム柔術に取材に行く時、プロモーターのジョー・クルージオが迎えに来るので、その時に聞いてみましょう」というTさんの言葉に一安心して、荷物を部屋に置きに行く。部屋割りはツインに館長と私、シングルにゴンズイ選手が泊まる。主催者からはツイン一部屋しかお金は出ないが、館長は「北川君が心配や」と、自費で同行。さらに自分がとったシングルをゴンズイ選手に与え、自らは僕とツインに泊まる。直心会館長、やる時は、やってくれる人でもある。
 
午後6時になりロビーに降りて行くとTさんはもう来ていた。 6時半ごろ主催者のクルージオ氏が現れ、体重計の事を聞いてもらう。いろいろと電話をしてもらってどこにもなく、買いに行こうかと 言う事になりかけていた頃「あっ、そう言えば歩いて5分位の所にフィットネス・ジムがあってそこに体重計があるんだ!」 と、クルージオ氏が言った。「なんでそんな事が『あっ、そう言えば』なんだ!はよ気付けよ。」 とTさんも毒舌を発揮する。とにかくやっと体重を計れると言う事で地図を書いてもらい、すぐにそのジムへ向かった。

1・8?オーバー……。水しか飲んでないのに……」。

愕然とするゴンズイ選手。500gオーバーで大阪を出たので現地で少し食べられる位、落ちている予定だっただけにショックは隠しきれないようだ。「水分だけなんで汗かいたらすぐ落ちますよ」。とりあえず着込んで走りに行く事にした。無理な減量が腰に来て一時期、動くことも困難であったゴンズイ選手。館長にテーピングをガチガチにしてもらって出発。私も観光がてら(?)ついて行くが、40分程走った所で腰の痛みを訴え止まってしまった。「今、無理したら試合に響くんで、とりあえず体重計って後は風呂で落としたほうがいいですね」 と言う私に、「後10分だけ走るわ」と走り出すゴンズイ選手。なんとか10分間走りきり 体重を量ると700gオーバー。後は風呂で落とすことにして、部屋に引き上げる。もう夜8時を回っていると言うのにまだ空は明るい。 10時閉館と言う事で9時45分に部屋を出て急ぎ足でフィットネスジムへ。「間に合った」とドアを開けようとすると鍵が掛かっている。中から終了のしぐさを 示す従業員。「ええ〜っ!!」落胆して帰ろうとする私達を追いかけて来て、彼は「すぐ済ませてくれよ」と言う感じで中に入れてくれた。「よっしゃー! 100アンダーや!!」

ゴンズイ選手の長い長い、一日はこうして幕を閉じた。 部屋に帰り私達の一日はこれから!と、館長と街へ繰り出した。

この時間に開いている飲食店は、目の前のチャイナタウンだけである。

「オーストラリアの郷土料理ってなんですかねぇ」と敢えて、館長に聞いてみる。実は館長、T氏からオーストラリアの郷土料理に関してはレクチャーを受けていたのを私は知っていたのである。しかも、何度もT氏から「ミートパイ」という取り立てて興味の湧かない料理を教えた貰いながらも、ずっと心の底では「ミート貝」という興味津々の食べ物を勝手に想像(創造?)していたことも……。どちらにしても、ここはチャイナタウン。歩けど歩けど中華料理ばかり。 中華以外は日本料理屋が2件、韓国料理屋が1件。いずれも閉店準備中だ。仕方がないので「CHAINA BAR」と書かれた店に入る。中はBARと言う雰囲気ではなく、大衆食堂のような雰囲気で学生や若者達で賑わっている。「とりあえずビール」と注文すると、「アルコールは置いていません」と言われ、隣、隣と 指までさされた。意味がわからず「BARやのにアルコール置いてないなんて!」と憤りを覚え呆れて店を出る。外に出て歩き出すと中から従業員が呼んでいる。横をみろ、と言う仕草をするので見てみるとそこは酒屋だった。どうやらお酒は持ち込んで飲む店らしかった。 オージービールとオージーワインを、オーストラリアをまったく感じさせない料理と共に飲み、最後にラーメンを食べて店を出る。

部屋に帰るとTさんから電話が入り「ちょっと飲みませんか?」と館長へのお誘いがあったので私もお供させて頂く事にした。 Tさんは女房以外の女を知らないんだよ」と館長のドッキリ発言があった。「えぇ〜っ!! そうは見えないですねぇ」と私。「だろ。だから面白いんだよ」と、再び館長。「ひえ〜!凄いですねぇ」、何が凄いか分からないけど、感心しながら待ち合わせているロビーへ。 街へ出てちょっと洒落たパブを発見し、入ろうとするとスウェットでは入店させてもらえないと言う。私の中では背広の次にパリッとした格好の「SOLUJAHスウェット」だが、アチラの都合ではそう言う問題ではないらしい。結局、あらかじめ見つけておいたギリシャ&アラビック料理のオープンカフェスタイルの店で飲む事にした。
 
ビールとポテトと「キャベツと肉をナンで包んだ物」(※編集部/ドネルケバブという、羊の肉と野菜をピタ・パンで包んだもの)を3つ注文し、席につく。店長と店員らしきおやじさん2人はすでに酔っ払っていていい調子である。
Tさんの話では、エクストリーム柔術へ取材に行くといきなり「キタガワはどんなファイターだ?」 と聞かれたそうだ。「公平を期すために向こうにも情報は教えないのでこちらにも教えられない」と答えると、「向こうに教えてもいいからこっちにも教えてくれ」と言われたらしい。 結局、身長が明記され、顔が分かる選手名鑑を見せるとみんなで覗き込んで「うわぁ〜、185cmもあるぞ!!」、「シノブ(サステインの渉外をされている小林しのぶ嬢)からベースは柔道と聞かされたけどな」などワイワイやっていたという。 試合2日前までまったく情報は入っていなかったようである。その点では彼らが私達より悪い条件であった事に私は驚いた。 あまり落ち着いて話す事のないTさんとゆっくり話してみたいと思っていたが館長の「と、言う事はアレだな。」から始まる、前の会話とはまったく関係無い話に翻弄され実行に移すことは出来なかった。
 この夜分かった新事実は
、館長は娘さんに“パパ“と呼ばれている事。

例の「Tさんは女房以外の〜」と言う話はやはり館長の勘違いであった事、など。

直心会館長、人の話をまったく聞いていない男である。
「じゃあ、トイレ行って出ようか」。飲み始めたのがもう深夜の12時近くだったから、そろそろ良い時間と思っていたら、館長は、ビール3本」と言いながらトイレに向かう! なんと、途中で店員にビールを注文している。「今、出ようって言うたんちゃうんかい!」。関西人でなくても、こう突っ込まざるを得なくなる行動である。

結局、館長は3度もトイレに行き、その度にビールを注文した。
“虎は死して皮を残す。 武士は死して名を残す。 館長はトイレに立って、注文を残す。

午前2時を回りそろそろ本当に帰ることにする。 しかし、こんな夜遅くだと言うのに若い女性が2人で歩いていたりしてつくづく治安の良い所だと思う。
 

「もったいないから包んでもらいましょう」とTさん。多分、私が朝、食べる事になるんだろうと思いながら残った料理を集める。「これも入れといてくれ」と館長、 そこには綺麗に肉だけ食べられた得体の知れない残りかすが置かれていた。
こうして私達の長い一日も幕を閉じていった。

2月11日 計量の日。 「6時ごろから計量らしい」。それまでに実際に使う体重計で予備計量をしたいので体重計が到着し次第、連絡をくださいと頼んでいたのだが連絡の来ないまま午後6時になった。ようやく部屋に連絡が入りロビーに集合してくれ。との事である。ぞくぞくと選手が集まり、私達は対戦相手のクリス・ブラウン選手を探す。
「あれちゃいます?」「うわっ!でかっ!!」「恐ろしい腕してますねぇ、こりゃちょっとヤバイですねぇ」と、少しナーバスになる私達。すぐにその選手はクリストファー・ヘイズマンと言うリングスの選手だとわかり一安心。

「あれちゃいます?」「あぁ、あれやあれや、写真と同じ顔してるわ」。「ちっこいですねぇ」。ヘイズマンを見た後は大概の選手は小さく見えるようだ。少しして今回の共同主催のジョン・ドナヒュー氏、ジョー・クルージオ氏が現れ、私達を空港まで迎えに来てくれたセラさんも資料などを持ってやってきた。 セラ女史、正装なのかツーピースのスーツのスカートは前スリットである。そこにいる全員の目がその一点に集中していた。


「生駒さんのアイドルおるやん」と師匠に言われ、視線の先を見るとオーストラリア修斗のラリー・パパドポロス氏が立っていた。 確かにラリパパさんは年齢に負けずに頑張ってはるが、それを言うなら今回の相手のクリス・ブラウン選手は41歳である。凄い人もいるもんだなぁと感心する。 そう言えば3年程前、館長(六十ン歳)がアマチュア修斗に出る!と言い出して私達が必死になって止めた事があったっけ。私も日本では年寄り扱いされているが、まだまだ若者だなぁと改めて思う。


今回の大会は修斗7試合、ボクシング2試合の計9試合で第3試合(6R)、第7試合(8R) がボクシングである。(多分そうだったと思います)。 ゴンズイ選手の試合はセミファイナルの第8試合で、2Rだった。メインは地元の人気者ソア・パラレイ選手とアメリカのクリスチャン・ウォレッシュ選手だ。そう言えばこのアメリカの選手、昨夜私達が飲んでいる所に2人で通りかかって「相手がでかいからいっぱい食べてるんだよ」と笑っていた。もう、夜も遅いのに……。レフェリーはラリパパさんと極真空手国際部のキャメロン・クィーン氏。 ゴンズイ選手の試合は極真空手で数年間日本に滞在して日本語が達者なキャメロンさんが務めてくださるそうだ。 この二人は日本から、プロ修斗のビデオを取り寄せてレフェリングの研究をしていて「まだまだ課題がたくさんある」と言っていた。「ドントムーヴをするとお客さんが笑うんですよ」と、キャメロンさん。

どこの国も同じ道をたどるようである。


「計量を開始しますので階段を上がったスポーツバーに集まってください」。時刻は午後7時「やっと来たか」と言う思いで階段を上がると試合の映像がスクリーンに映し出されている空間にお客さんがたくさん集まっていた。「お客さんの前で量んのかよ!もっといいパンツ履いてくりゃ良かった」ちょっぴり恥らう北川純(30才)であった。 リングアナウンサーのコールを受け、試合順に選手が体重計に。いよいよ我が師匠の番になり、リングアナのコールを受ける。
「ウェルカム オオサカ ジャパン  フン“ゴンズイ”キタガワ〜」。「フ、フン?!」オーストラリア訛りなのか、読み間違えただけなのか。その後“ジュン“と改めていた。「セブンティーファイブ ポイント ファイブ」。500アンダーか。やっぱりあの体重計合ってたんだなぁ。)と思いつつ、一発パスに胸を撫で下ろす。16日間で15・5kgの減量にひとまず成功したと言えるだろう。体重計から降り、カメラマンの前でポーズ。こころなしか顔が引きつっている。(パンツだけは写さんといてあげてくれよ)。弟子である私のせめてもの願いである。その後のクリス・ブラウン選手も一発パスであった。計量後のポーズは弟子の私が、贔屓目にみてもブラウン選手の方が様になっていた。 結局、全選手一発パスで計量終了。すぐにドクターチェックとルールミーティングだと言われたがとりあえず何か食べようと急いで部屋に帰る。買っておいたサンドウィッチ、フルーツ、チョコレートなどをアッと言う間に平らげるゴンズイ選手。一瞬にして2リットル分の水分も消費された。

「別室でやるそうだ」。計量場所に残っていた館長が呼びに来てくれ3人で会議室へ向かう。もう、たくさんの関係者が集まっていて、先程は気付かなかったがテレビも来ている。どうやらこの大会がニュースでオーストラリア全土に流れるらしい。「いつ放送されるんですか?」と聞いたら「後日、ビデオを送ってあげるよ。」と言ってくれた。未だに届いていないが・・・。
 ところで、オーストラリアではラリパパさんの本拠地であるシドニーではグランドパンチは認められて
いなくて、認められているのは、ここメルボルンと他、数箇所だけのようだ。(そのメルボルンでも「野蛮だ」と言う声が、少なからずある)地元でのプロ興業開催が認可されない中でも(アマ修斗は認可されている)、修斗の普及の為、尽力しているラリパパさん達。私達の肩書きに“世界”という文字を加えることが出来たのもこう言う方々の地道な努力のお蔭なんだと改めて実感する。 ルールミーティングではテーブルの上に修斗グローブを置いてラリーさんが話している。修斗ルールなので私達にはほとんど分かりきったことであるが数点気に掛かった所があった。
 
まずはグローブ。

目の前には3組の修斗グローブが置かれている。Mサイズ、Lサイズ、そして旧修斗グローブ。「おっ、懐かしいなぁ」と感傷に浸っていると、「グローブは数が少ないのでこれを使いまわします」。(おい、おい全部規格が違いますがな!)。……結局、同じ物が2組づつ計6組あると言うので安心した。あとは、後頭部への加撃の禁止。これは州の法律で禁止されているそうだ。「バック取ってもどつきにくいなぁ。」と、ゴンズイ選手。さらには鉄槌の禁止。これは法律なのかラリーさんの持論なのかは分からないが、グローブのアンコのない部分での攻撃は危険であるとの事である。「鉄槌なんか体が勝手に出してまうわ!!」ゴンズイ選手かなり戸惑い気味である。 どうやら、この部分が一番のネックになりそうである。

ルールミーティングが終わり、ドクターチェック。「血液検査をしますので腕を捲くってください」。「ええ〜っ!!」。 注射とレバーが死ぬほど嫌いなゴンズイ選手。動揺を隠し切れない。「日本の修斗では年一度のライセンス更新時に血液検査が義務付けられていてこのライセンスは血液検査済みの証拠なんです」と訳してもらい、「今回はいいでしょう。」とお許しをもらう。
 
このドクターは柔道とキックボクシングをやっていたらしく、「オオソトガリ!」、「ソデツリコミ!」などと声を掛けてくれる。 私も「タックル!」「ジャーマンスープレックス!」と返そうかと思ったが大人気ないのでやめた。血圧、脈拍、問診などいつも通りの流れで無事ドクターチェック終了。その後、テレビのインタビューに答えるゴンズイ選手。いつも通り顔は強張っている。通訳をキャメロンさんが務めてくれて、滞りなく終わった。次にクリス選手。「私は対戦相手を尊敬しているので全力で戦う」。「ええ事、言いよんなぁ〜」。「やっぱりオリンピック出てる人は違いますねぇ」と、妙に感心する私達。 撮影も終わり、最後に契約書の作成。横にキャメロンさんがいるにも関わらず英文を訳してくれようとする館長。傷付けないように引き下がってもらうのに気を使う。ようやく本日の行事を終え、部屋へ帰る。

「さっき、ようけ食い過ぎて腹でかいわ」。「じゃぁ、飯喰いに行きたなったら連絡ください」と言って別れる。館長はTさんと食事に出かけたようだ。人の話を聞かない館長と、言いたいこと言うT氏。会話が成立するとは思えないが、心の底には似たようなものが流れていそうだ。私は午後11時前になる頃、ゴンズイ選手とレストランを探しに街へ出た。「オージービーフとロブスターが有名みたいですよと、予め狙いを付けていた鉄板焼き屋へ誘導する。「すみません。閉店しました」。
 ……、
明日は夜遅くまで試合、次の日朝早く帰国と言うスケジュール。私の楽しい晩餐の夢は砕け散った。結局、例の「CHAINA BAR」に入ることに。(オーストラリアに来て中華三昧かぁ〜)と、内心へこむ私。

目の前では我が師匠、美味しそうに中華料理をがっついていた。

2月12日 試合当日。館長は朝から、Jスポーツの中継用の素材を撮りに行くというTさんについて、市内観光。私は師匠と昼食を取る約束があるので部屋に残る。 午後2時、師匠の希望で日本料理屋へ。とてもリーズナブルな店で日本画が貼ってあったり日本の曲が流れていたりと“いかにも”と言う感じの店だ。師匠はカツ丼、私は天ぷら定食を注文。予想以上に美味しい事にびっくりした。 客が少ないのにやたらと忙しそうな店員にもびっくりした。 午後3時半にロビーに集合し、30分後、15人程しかいないのに2階建てデラックス観光バスで出発。

キャメロン・クィーンさんから、極真空手の話や修斗のレフェリングの話を聞いている時、Tさんが「館長はキャメロンさんの話は黙って聞くんですねぇ」と一言。しかし、私達は知っている。館長は黙って聞いているのではなく、聞いていないから黙っているのである。

バスはどんどん街から離れて30分程して、地平線の見える場所までやってきた。ここが試合会場だ。中に入ると冷房設備がないのか、ムッとした暑さである。昨日まで肌寒いくらいだったのに、今日に限って気温が高い。名前の通りバスケットボール場で両側が雛壇になっていて、見やすそうな会場である。 ただ、真ん中に作成中のリングがほったらかにしてある マットの硬さを確かめようと触ってみた。
「硬っ!!」。鉄板の上にフエルトを一枚引いただけである。「さすがにこれはヤバイな!」。 僕らの不安を察知したTさんが、ラリー・パパドポロスに尋ねに行ってくれた。「主催者がこれしか用意していなかったのをラリパパが注意し、今、追加のフエルトを運んでいる最中みたいです」。

道理でリング作りが止まっている訳である。 リングも出来上がらず、控え室の割り当てもなく暑い会場の中で時間を潰す。「もっと遅く出ても良かったんちゃうんか?!」と、苛立って来た頃、ようやくフエルトが到着した。その後、用意された控え室では日本人が珍しいのか、ただ単にフレンドリーなだけなのか、やたらといろんな人が話し掛けてくる。英語のまったく出来ないゴンズイ選手は少々疲れ気味だ。

平日だと言うのに続々とお客さんが集まりだし、8時ごろ試合開始。 リングの周りには10人掛けのテーブル席が多数配置されている。 大型スクリーンも設置されていて、なかなかいい雰囲気である。 一本、KO続出の面白い大会である。 第7試合のボクシングもKOで終わり、いよいよ我が師匠の出番となった。「ブーイングとかは気にせんと行きましょう」「分かってる。とにかく、気持ちのアドバイスをいっぱいして」。

「オオサカ ジャパン、ジュン“ゴンズイ”キタガワ〜!」。リングアナのコールで、気合い一発リングへ向かうゴンズイ選手と館長と私。
会場の雰囲気に飲まれないように集中して進む。 試合前のコールの時には予想外にブーイングは全く無く、むしろ「遠い所をよく来てくれた」と言う感じの温かい声援がゴンズイ選手に送られる。地元の英雄クリス・ブラウン選手に引けを取らない位だ。

そしてついに試合のゴングは鳴った。

結果は皆さんご存知の通りで、内容はいずれ放送されるJスポーツ「ワールド修斗」でお楽しみ頂くとして、私が驚いたのはTKOの裁定が下った後も「まだ行ける!!」と闘い続けようとするゴンズイ選手に、会場から割れんばかりの大声援が巻き起こった事だ。しかし、この傷は1回目に止められた時にもう無理だなと思ってしまった位、パックリいっていたものでドクターが続行の許可をしてくれた事自体、ラッキーだったと思う。必死に食い下がったゴンズイ選手も結果を受け入れ、四方に礼をして対戦相手チームと握手をし、早々に引き上げて行った。私達も荷物を掻き集め引き上げる。控え室へ戻る時に、途客席から「ナイスファイト!!」、「グッドジョブ!!」などの声がたくさん掛けられた。

「これは止められるわなぁ〜」。 控え室の鏡を見て納得するゴンズイ選手。「北川さん、帰んの早かったですねぇ〜」。 「あんまり盛り上がってくれるから長いことおったら相手の選手に悪いやろ」。善い人なのである。結局、ゴンズイ選手の傷は9針縫う程でもう少し止めるのが遅ければウインク出来なくなる恐れがあったそうだ(ウインクするかどうかは別として)。ドクターが帰国後の処置など丁寧に教えてくれる。そして、2階建てデラックスバスに乗り込みホテルへ戻った頃には、日付は変わっていた。

2月13日、午前6時。ロビーに集まる。10時発東京行きの飛行機のTさんも一緒に出てくれる。昨夜の疲れも見せずセラさんも、到着。例の小さな車に5人乗り込んで出発。「本当によく働く人だなぁ。」と一同感心しながら、ナイロン製のブラの紐に釘付けになる。
 

空港到着。本当に短い期間だったが素晴らしい人達ばかりだった、この街を離れるのは少し名残惜しい。修斗関係者の方も、会場に足を運んでくださったお客さんも、フィットネスクラブの人も、ホテルの人も、立ち寄った店の人達も……。「時間が無いので急ぎましょう」、感傷に浸っている暇もなく、冷静なTさんに促され大急ぎでセラさんにお礼を言って早足で空港へ。荷物を預け、搭乗口へぶらぶら歩いている私達を「急がないと!」とTさんが追いかけて来てくれたが、準備が少し遅れているようで搭乗口に着いた時、まだ搭乗開始前だった。
 
しばらくして搭乗開始となり、私達はTさんにお礼を言って別れた。座席に向かう途中、館長が 「しかし、アレだな。Tさんはよっぽど俺達の事が好きなんだなぁ」と一言。いやぁ、危なっかしくて放っておけなかったんだと思いますが……。

 
今回の遠征での一番の収穫は修斗の大会と言うのは、本当にいろんな方々の努力のお蔭で成り立っていると言うことが実感出来た事かもしれない。 帰国後、私が管理人を務めさせて頂いているSTG神戸の掲示板に載せたコメントをここでもう一度掲載させて頂きます。そして、応援してくださった方々に対するゴンズイ選手のコメントも。

主催のクルージオ氏、ジョン・ドナヒュー氏、オーストラリア修斗のラリー・パパドポロス氏、レフェリー、通訳などで色々御心遣い頂いたキャメロン・クィーン氏、そして、自分の睡眠時間や原稿を整理する時間を削ってまで私達のお世話を全面的にして頂いたスポーツライターのTさんにこの場をお借りして心から厚くお礼を申し上げます」
みなさん、たくさんの応援ありがとうございました!! 良い結果は残せませんでしたが、初の海外での試合を経験さしてもらったことで、いろいろな事を学びました。この経験を次に必ずいかせるように、初心にもどって練習がんばっていきます!! またこれからも応援よろしくおねがいします!! 絶対に絶対にがんばります!!」 〜北川ゴンズイ純〜
 最後の最後に、
拙い文章を最後まで読んで頂いた皆さん、ありがとうございました。 これからも修斗をよろしくお願い致します。生駒純司。